【ヒミツのここたま】自分の「ノラたま」観

あるいは「ここたまシリーズ」観。

 

 

とりあえず「かみさまみならい ヒミツのここたま」第38話を見てください。

以上。

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……ってわけにもいかないですね。

 

 

 何故今更この話なのかというと、先週、6月24日の木曜日で「かみさまみならい ヒミツのここたま」第38話の放送からちょうど5年(うるう年の関係で正確には5年+1日)だったからです。

 この38話、「ヒミツのここたま」序盤の中では最も好きな話です。人間を嫌い、公園でノラとして暮らしているここたま達、"ノラたまトリオ"の過去が語られただけでなく、「ヒミツのここたま」、あるいは「ここたまシリーズ」の本質をこれでもかと叩きつけてくる、そんなエピソードの1つだと思います。

 

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 作中では、姉御肌のユラノ、お調子者のとくまる、無口で力持ちのムキテツの3人を総称して"ノラたまトリオ"と呼んでいます。この組み合わせは「タイムボカンシリーズ」の"三悪"が元になっているのでしょうか。

 ノラたまトリオは上記の公式サイト内で"ライバルここたま"として紹介されています。しかし、自分の見解を述べるならば、ノラたま(特にリーダー格のユラノ)は"ライバル"では無く"もう1人の主人公"です。 もう一人の主人公として、主人公達とは別の視点に立って他のキャラクターを支え、物語を動かしていく、そういう役割を持っていたのだと考えています。

 


 

 ここたまは、大切にされた物から生まれる「モノの神様」です。"付喪神"とも言えるでしょうか。

 登場する多くのここたまは、大切にしてくれてありがとう、大切にしてくれた人間が大好きという気持ちを抱えて生まれてきます。しかしノラたまは、物語開始時点では何故か人間を嫌っていました。詳しい経緯は38話を観ていただくとして、彼女らがそうなった理由をおおざっぱに言うと"人間たちに大切にされなくなったから"でした。公園の遊具から生まれたユラノたちでしたが、子どもたちは時代と共に公園を訪れなくなりました。そして、彼女らはそんな人間を嫌うようになりました。

 人間の物を大切にする気持ちが"ここたまの生みの親"だとするならば、ノラたまは孤児であると自分は解釈しています。そして、彼女らの人間嫌いの根底にあるのは、もっと大切にされたかった、愛されたかったという、捨てられ体験に端を発する鬱屈した感情であると自分は捉えています。生まれる前も、生まれてからも持ち主から愛を注がれ続けるラキたま達(主人公・四葉こころの持ち物から生まれたここたま達)とは正反対です。好きだった、大切にしてくれた……その気持ちに応えて生まれたのは、ノラたまもラキたま達も変わりません。ただ、その後に置かれた環境が違った、たったそれだけの事でした。一方は人間と一緒に暮らし、もう一方は人間を嫌い"ノラ"として生きていました。  

 それでもことあるごとに、こころやラキたま、他のここたま達の背中を押したのはユラノでした。正反対の立場でありながら、根っこでは同じ気持ちで繋がっていて、大切な局面で力を貸し、物語を動かす動力になる……ノラたまはそういう存在です。

 「ヒミツのここたま」第38話はノラたまの過去を描くだけでなく、ノラたまの、特にユラノというキャラクターのカウンセリングをした回でもありました。 この回をもって、ノラたまがもう一人の主人公として歩き出したとさえ思います。本当は自分たちも大切にされたかった、愛されたかった、人間たちを愛したかった……誰にも打ち明けられず、ずっと抱えてきた重石を、全てとは言えないまでも少しだけ手放すことができたのだと、自分はそう解釈しています。

 ちなみに、劇場版で最初に魔法バンクを披露したのはユラノでした。この扱いも自分がノラたま=もう一人の主人公を確信するに至った理由の1つです。ユラノは所謂"大きなお友達"に人気のあるキャラクターですし、スタッフの単なるサービスだった可能性も否定はできませんが、アニメここたまのスタッフがそういう事をするとは考えにくいのです。

  


 

 「ヒミツのここたま」では、38話のようなテーマが幾度も語られました。ただキャラクターがカワイイだけの玩具販促アニメではなく、物から生まれたが故に抱えてしまう哀しみ、苦しさ、そういったものにまっすぐ向き合って描き切った作品でした。

 ノラたまの件のみならず、あらゆる箇所で根底に流れる重さを隠さない……キャラクターのかわいさ以上に、自分はそんな作風に惹かれたのかもしれません。