「ポケモン」と自分の事。

「本日2月27日はPokémonDay」ということで、自分とポケモンの話を書きたいと思います。

 

 

 自分は年齢的にポケモン金銀~ルビー・サファイア・エメラルド世代になりますが、ポケモンを好きになったのは中学生の頃です。「テレビゲーム・携帯ゲーム」というメディアに触れるのが遅く、またコロコロコミックなどの子ども向け雑誌を買い与えてもらう事も無かった自分なので、子ども時代は"情弱"でした。また、ゲームをある程度触れるようになっても、ポケモンショックの時に母親から言われた「ポケモン観ちゃだめだよ」の一言を覚えていたので、自分から触れようとはしませんでした。ポケモンデジモンの違いがわからなかった、と言えば自分の情弱ぶりが伝わるでしょうか。

 そんな自分でしたが、偶然テレビのCMか何かで見たルカリオに心を奪われ、そこからズブズブと沼に沈んでいきました。そこから先はもう一直線で、ゲームは自由に触らせて貰えなかったのでプレイできませんでしたが、グッズを買い漁り、映画は公開初日の初回が基本、ポケモンセンターキョウトの開店に朝から並び(2016年3月当時は京都に住んでいました)、立派なポケモンファンの1人になりました。なったつもりでした。

 

随分前にツイッターでも呟いたポケモンセンターキョウトでの出来事ですが、1会計ごとにポケットティッシュを貰えるキャンペーンで、自分はカブトプスの柄を引き当てました。その時会計をしてくれたお姉さんは、「カブトとオムナイトどっちを選びましたか?」と聞いてきました。自分は何のことかわからず、戸惑って、やっとゲームの事だと理解して、「親が厳しかったので昔のやった事ないんですよ」と答えました。初代のゲームでその2匹からどちらかを選ぶイベントがあったというのを知ったのは、お店を出た後でした。

 店員の方に悪意が無かったこと、これは重々承知しています。1人のポケモンファンとして、同じようなポケモンファンである自分に話しかけただけなのでしょう。ただ、自分が求められる域に達していなかったが為に、否定的なメッセージになってしまった、ただそれだけです。ポケモンセンターの店員とはいえ、公式側の人間からそういうメッセージを突きつけられたら、もうファンを続ける事はできない……そう思います。

 何をもってファンとするか、明確な定義はありません。ですがあの時自分に求められたものは"経験"であり"時間"であり、"思い出"でした。そのいずれも満たしていない自分は、「ファン」ではないのです。「ポケモンファン」を名乗るには、自分は何もかも中途半端です。ゲームを熱心にやっていたわけではない、初代や金銀を触れる世代だったにも関わらず同世代と共有できる思い出が無い、そもそも手を伸ばそうとすらしなかった。中途半端にグッズを集めてファンのふりをしていただけでした。

 他のファンが「あなたもポケモンの立派なファンだよ」と言ってくれたとしても、誰かが許してくれたとしても、自分は自分を絶対に許さない。これはあの質問の意味を理解できずに「ポケモンファン」を自負していた自分への怒りです。

 

 2016年くらいからでしょうか。ポケモンは初代世代をターゲットにした展開を始めました。スマホ向けアプリ「ポケモンGO」の大ヒットがあり、劇場版ではサトシとピカチュウの出会い(アニメ第1話)をリビルドした「キミにきめた」が公開され、初代やその近辺の世代は随分盛り上がったように思います。

 最初、自分がポケモンから離れる事になったのはそういう世代(初代をリアルタイムで味わっていた人達の近く)に属していながらリアルタイムの思い出を持っていないが故の疎外感だと思っていました。ですが、今思えばそれはただのキッカケでしかなく、ポケモンセンターキョウトでの出来事と、そこで感じた事こそが決定打だったのだと思います。

 

 今、自分が所属するコミュニティでポケモンに触れない事は困難ですし、とりあえず最低限の知識だけは入れておくようにしています。ですから話を振られれば一通りの対応はできると思います。

 好きなポケモンはいます。そして、最新作「ソード・シールド」でも好きなデザインのポケモンはいます。ただ、それでも。どれだけ好きなキャラクターが出てきたとしても、もう自分はかつてのように素直にグッズを買ったりすることはできないでしょう。

 "好きの反対は無関心"という言葉もあるみたいですし、自分はまだポケモンファンでありたい、ポケモンを好きでいたいのだと思います。ポケモンのファンとして、多くの方々と語り合いたい、好きを共有したいという欲求があるのでしょう。こんな記事を書く事こそ、そういう気持ちが残っている証左なのだと思います。

 

 

 

 

 それでも、決して自分を許してはいけないのです。