【再掲】コンテンツの外側から~「ここたま」がくれたもの~

※2018年9月にYahooブログで書いたものの再掲です。
 
 
 「かみさまみならい ヒミツのここたま」が本当の最終回を迎えたので。

 まずは2年11ヶ月、発表から丸3年、お疲れ様でした。自分が「ヒミツのここたま」を見始めたのは放送が始まってから1ヶ月ほど経ってからなので、2年10ヶ月ありがとうございました。既に放送まで1週間をきっていますが、「かみさまみならい ヒミツのここたま」の後を継ぐ第二世代として「キラキラハッピー★ ひらけ!ここたま」が9月6日(木)から放送開始になります。「ここたま」というコンテンツが続いてくれること、何よりも嬉しいですし、全力で応援していきます。
 思い返せば、ここたまを観始めてから、特にここ1年と少し、自分の行動範囲や行動力というものが広がっていったように思います。少々無理をしてでもここたまのイベントがあるならば……、ここたまのためならば……、そういうことが増えました。自分は「ここたま」というコンテンツに対して、これまで深くハマってきたコンテンツとは一線を画したハマり方をしています。
 まず前提として、作品そのものの面白さという点があります。元々ドールハウス玩具を売るための所謂「販促アニメ」であるとはいえ、物を大切にしようという明快なコンセプト、魅力あるキャラクター、考察し甲斐のある深い設定などなど、その魅力は語っても語っても語り尽くせません。しかし、それだけで自分がここまでハマるものでしょうか。確かに自分は「ケモナー」と呼ばれるような、人外キャラクターが好きな人間ではあります。しかし、友情という明快なコンセプトがあり、人外キャラクターが活躍する「マイリトルポニー」からは、日本放送終了時点で離れてしまいました。以前は大好きだったポケモンも、ここ数年の展開に嫌気がさして離れてしまいました。     
 さて、これまで自分が好きだったコンテンツへのハマり方と、「ここたま」に対してのハマり方の違いは何でしょうか。一線を画すハマり方をした理由、それはコミュニケーションの力ではないかと推測しています。

 自分がツイッターで「ここたま」について比較的高い頻度で呟き始めたのは2016年の夏頃だったと思いますが、そこから少しずつここたま関係の方をフォローする/フォローされることが増えました。
 16年秋には「ここたま」の劇場版が公開されることが発表され、ファン界隈は大いに盛り上がりました。そうして盛り上がっている時に入場者プレゼントの情報が公開されました。中学生以下限定プレゼント、自分は当然貰えない、じゃあどうするか?自分で作るしかないと思い、それまでやったこともないフルスクラッチに手を出しました。エポキシパテのブロックから少しずつ形を削りだしていくという工程をツイッターに載せていると、様々な反応を頂くことができました。3月末に完成報告をしたところ、ツイッターアプリの通知が次々に飛んできたのは驚きましたが……今では良い思い出です。その直後、4月1日に映画公開記念として京都でここたまの着ぐるみグリーティングがあるという情報が流れてきて、それについて引用RTか何かで「行こうかな~」と呟いたところ、フォロワーの方から当日一緒に行きませんか?というリプライを頂き、そのまま勢いでOKしたのがある意味では始まりだったのかもしれません。
 そこからは時々ブログで書いているとおり、ここたまのグリーティングイベントやステージショー、その他関連イベントに顔を出すようになりました。オフィシャルショップが期間限定オープンしたと聞けば突撃し、関西けもケット、昨年12月のクリスマス調理実習オフ@京都を経て6月の東京おもちゃショー2018で第二世代「キラキラハッピー★ ひらけ!ここたま」のスタートをフォロワーの方々と一緒に見届けました。また先日、「ひらけ!ここたま」の放送スタート記念イベントが開催され、これにもフォロワーの方々と参加しました。これらは所謂「オフ会」というやつですね。また、イベントに参加するだけでなく、アニメの中でキャラクターがやっていたコスプレを市販のドールを改造して作ってみたり、発売予定の無いキャラクターのドールをフルスクラッチしてみたり、小道具を自作してドールに持たせて劇中再現したりと、とりあえずフォロワーの方々には「ここたま関連で何か色々作ってるヤツ」として認識して頂けたように思います。
 

 
 さて、2017年2月から今まで、自分がやってきたことは何でしょうか。それは「アニメここたまを観て、玩具等を買い、時には作り、それについてツイッター上やオフ会でフォロワーの方々と交流する」という活動です。ただアニメを観るだけ、グッズを買うだけだったこれまでの自分の「好き」とは、明らかに一線を画しています。これは自分が意図したものではないですが、「ここたまというコンテンツ」を「多くの人と共有して楽しむ」という、自分にとって全く新しい体験が発生しました。
 こういった体験について、ゲーム「ポケットモンスター」シリーズを例にした本の一節を引用したいと思います。本当であればちゃんとした引用をしたい所なのですが、古い本であり、また価格が高騰しているということもあり、「僕たちのゲーム史(さやわか,2012)」の225-226ページに記載されているものの孫引用になってしまうことをお許し下さい。

(引用ここから)"『ポケットモンスター』がヒットした最大の理由は、なによりも、それがコミュニケーション・ツールとして正しく機能していたからだ。最近、流行の風潮のように、ゲームというものを"メディア"としてとらえてしまうと、このことは見えなくなる。
メディアというのは、原則的にクリエイターがユーザーへ向けて情報を提供する一方通行のものだ。しかし、ゲームを"遊びのための道具"としてとらえれば、その意味は変わってくる。
つまり、クリエイター側はあくまでも遊びの道具(そこにはその環境も含まれている)を作るだけで、あとはユーザーたちの前に放り出せば良い。そのなかから、ユーザーたちは自分なりの遊び方をみつけ出していくことができるからだ。"(引用終わり)

 さやわか(2012)はこれについて、"これはつまり、ポケモンは、「ゲーム内容」(ゲームの内部にあるもの)よりも、「人間同士の関係」(ゲームの外部にあるもの)を満たせたからヒットした、と言っているのです。"と述べたうえで、"作品内容はともかく、そのゲームを介して生まれるプレイヤー同士のコミュニケーションが楽しい。ゲームの楽しさには、本来それが含まれている。だからその助けとなるゲームを作るべきだ。「環境も含めた遊びのための道具」を作るというのは、そういう意味でした。"と続けています(引用:僕たちのゲーム史,p226)。また、この後のページでは「高機動幻想ガンパレード・マーチ」というゲームについても取り上げられています。このゲームでは、ゲーム世界の謎について公式がプレイヤーと掲示板を通じて問答をするという面白い取り組みがされており、開発者はこのことについて「ゲームより面白いもう一つのゲーム」という表現を使っています。この表現について、さやわか(2012)は"それは先ほど『ポケモン』の話で出てきた「ゲームの外部にあるもの」に他なりませんよね。"と述べています。
 コンテンツという道具を使い、コンテンツの外側にあるもの(=コミュニケーション)を楽しむ。ゲームとアニメという差こそあれ、この楽しみ方は今の自分が「ここたま」を楽しんでいる姿勢によく似ているように思います。「ここたま」というコンテンツについて、今後の展開を予想したり、設定を考察してみたり、時には二次創作してみたり……作品について多くの方と語り合うという楽しみ方、自分はこれまでやってきませんでした(そもそもできませんでした)。それが、どういうわけか「ここたま」ではできました。住んでいる場所も、年齢も違う。元々ハマっていたものも違う。そういった方々と「ここたま」を通じて出会い、繋がり、コミュニケーションをして、より深く楽しんでいく。
 同年代と共通の話題で盛り上がることのできない自分が、同じコンテンツを楽しむ多くの方々と出会ってコミュニケーションをとることができる……こんなに幸せなことはありません。
 結果として、「ここたま」というコンテンツは自分の大切な居場所であり、自作ドールなど自分の作った物を通して「自分がここにいる」と存在を明確に叫ぶことができる場所になりました。学校でもどこでも、これまで、自分の存在は希薄だったのだと思います。それは自身の生育過程によるものなのか、それとも他の環境要因に依るものなのか判別はできません。しかし今、「ここたま」というコンテンツを楽しむファンの中にあって、自分は明確に自分であると叫ぶことができます。ここにいると叫ぶことができます。自分にとっての「ここたま」というコンテンツは、某ロボットアニメの台詞を借りれば「もう一度、私を産んでくれた光」です。だからこそ、この秋以降、シリーズが変わっても「ここたま」というコンテンツが続いてくれることが何よりも嬉しいのです。自分の願いが、半分くらい叶ったようにも思います。
 


 「映画ここたま」に出てきた一人前ここたまの仕事の中に「運命の出会い課」というものがありました。これは劇中の台詞で「人や物との大切な繋がりを導く」と説明されています。自分と「ここたま」との出会いは、まさしく運命の出会いだったのかもしれません。配信で観始めた当初は、まさかこのコンテンツにここまでハマり、やったことのないフルスクラッチに手を出し、オフ会や遠征をするまでになるとは考えてもいませんでした。もちろん、そこに至るまでには運が良かった、ラッキーとしか言いようが無い事柄が幾つか存在します。でも、そういう運の良さも含めて、自分は「ここたま」にハマるべくしてハマったのかもしれません。
 ここたま達は、最初は見習いとはいえ神様ですから、きっとそういうものを持ってきてくれたのでしょう。ここたま達に手伝ってもらって、今の自分があります。
 そしてこれからも。「ひらけ!ここたま」を多くの方と楽しんでいくことができたなら、こんなに嬉しいことはありません。
 
 
では、また。